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哲学の中庭

…と、真理の犬たち

ボーロ

何が循環を引き起こすのか? ~現象論的唯一性と形而上学的唯一性~

空間には、私を中心とした向きがある。 上下、左右、前後、のように。 さて、空間の向きの「中心」は唯一だ。 そう観念論や現象学は説明する。 だとすると、他人を中心とした向きは、 私を中心とした向きの、 何らかの仕方での複数化(分有)だということに…

霊的経験の亡霊 ~近代以降の「経験」をめぐる循環~

友人と能を観た。 その友人がブログでこう書いている。 ところで、こうした宗教的祭典では当たり前のように霊的直観が、演者や作者のみならず観客にももたらされたことであろう。そうした霊的直観を、対象的に研究することは学問的に現代でも可能である。け…

探求者にとって〈教養〉とは

「教養とは何か?」 これについては様々な考えがあるだろう。 ただ、こんな暗黙の共通理解があるのではないか。 「教養とは、広く共有された古典的知識のことだ。」 だから、「教養」を踏まえたコミュニケーションでは、 共有された知識にまつわる 情報交換…

哲学対話における〈度し難い傲慢〉

UTCP Index (2012-2017) をご恵投いただいた。 封を切り、ページをパラパラとめくると、小林康夫先生のページ。 同じ冊子の隅にでも寄稿できなかったことが苦く感じられる。 目にしたことのある文章。 約2年前のブログの文章の再録だ。 対話がどの意味にお…

無限に強い光が無限に弱まると

「無限に強い光は、 その無限の強さのため、 無限に遠くまで届きます。」 偉い人たちの前に立って、 僕は話をしている。 「無限に遠くとは、 変なことを言うな。」 しかめ顔と嘲笑。 「この光は、 遠くへ行くごとに、 弱まっていきます。 ですから、 無限に…

哲学の中庭

哲学の中庭は、 ぼろぼろになった真理の犬たちが 休む中庭。 いつか魂の救済を きちんとあきらめたら、 せめてそんな中庭をつくりたい。 ボーロ

実存と言語分析

「実存」はどんな性質(本質、~であること)を複製・再現したとしても再現されるはずのないものだが、通俗的にはなぜかそのようなものを表す言葉になっている。 そして、永井均氏のいう〈私〉を通俗的「実存」として理解している人までいる。そんなものは特…

哲学探求の前進とは?

毎日、哲学ノートを書いている。 ほんの少しずつだが、探求は確実に進んでいる。 新たな問いが目の前に開けたときに、 前進の快感を得ることができる。 学生たちと、 「私とは何か?」という問いについて、 パスカルとともに考えている。 学生たちの言うこと…

夢・幻想・光 ~まどかとヴォランドと僕の対話~

今月末に来るワルプルギスの夜の前に、 明日(4月16日)は復活祭。 復活祭は、キリストの復活祭である前に、 太陽の復活祭だったという話がある。 光がよみがえるのだ。 夢は光でできている。 幻想は闇でできている。 夢をみる子どもと、みない子どもがい…

魂の錬金術と魔法少女

今月の終わりにワルプルギスの夜が来る。 昔、イングランドの魔女たちとすごした ワルプルギスの夜は忘れがたい。 とくに何がって、 鳥のさえずるたんなる朝の輝きが。 遅ればせながら、 「魔法少女まどか☆マギカ」を観て 身につまされている。 僕は人と真に…

端的な無限からの限定の話

今日の永井ゼミでの時間論は熱かった。 発表者のTさんはとにかく素晴らしかった。 先生との対話が溢れ出た。 ヒューミアンのNさんは、 未来の不思議さにこだわっていた。 ゼミのあと、 与えられた無限定からの限定の話をした。 それと、端的な無限からの限…

世界を愛で満たすには

私の体は、動きたい方向を伝えてくる。*1 しかし日常生活は、 行かなければいけない場所や、 しなければいけない動作でいっぱいなので、 体の動きたい方向は無視されている。 体が空腹なら、 体は食べたい物への方向を伝えてくる。 ところが、体の伝えてくる…

古代から続く哲学対話に入る

哲学の伝統と、 伝統とは無関係な個人的観点との間の 葛藤あるいはダイアレクティックのない 哲学などあるだろうか。 たとえば、哲学対話の場合でも、 複数人で考えていることと、 一人で考えていることととが、 同時進行している。 参加者の一人一人は、 そ…

体に穴をあける叡智

友人に名医を紹介してもらい、 鍼灸院へ。 ふだんから違和感のある場所を みごとに触わり当てられながら、 「これはかわいそうだ。 ここまで疲労していては 休んでいても治らない」 と言われる。 施術の最中から、 すでに素晴らしい効果を感じる。 いまも鍼…

祭のあとの独り言

賑やかだった春休みが終わった。 楽しかったけど、 やっぱり賑やかすぎるのは向いてないな …ということがちゃんとわかった。 カンテラを置いて、 ふたたび空気の薄い山の上へ。 この春休みは、 やり場が整っていないのに、 急にエネルギーが出てきてしまった…

図書室の二人

小学校一年生のとき、 同じクラスに、ダウン症候群をもつ女の子がいた。 子どもの僕はそれが何なのかを知らないので、 少し特別な女の子というくらいに思っていた。 何やら大きな小学校というところや、 同年代の子たちに対する恐れがあったとき、 その子と…

社会的能力と文明的能力

ある人は、自分の社会的能力に自信をもっていた。 しかし、食べること、装うこと、 声をかけることなどのもつ意味を知らなかった。 つまり、文明的能力をまったく欠いていた。 別のある人は、社会から距離をとろうとして、 文明からも離れてしまった。 つま…

「人間原理」とアキレスと亀

「なぜ宇宙はこんなにも秩序だっているのだろう?」 「何を驚いているんだい? そのように問う複雑で知的な生物がいるということは、 当然宇宙は秩序だっているに決まってる。 何も不思議なことはないよ。」 たとえば「人間原理」という考え方は、この種の答…

円坐の静けさと沈黙

円坐。 テーマも目的もなく人々が集まり車座になる、 原始的で根源的な会。 始まってからおよそ30分、 誰も話さない。 思いがけない感覚や考えが次々によぎる、 豊かな静けさ。 この豊かな静けさと引き換えにできる声を、 僕はもたなかった。 3時間にわた…

なぜ人は物語に没頭するのか?

今朝、目が覚めてふと、 「なぜ忍者ハットリくんの獅子丸の好物は、ちくわなのだろう?」 と思った。 さっそくスマホでネット検索してみると、某質問サイトに、同じ疑問が投稿されている。 「獅子丸の好物はなぜ竹輪なんですか?」 さらに疑問がわいてきた。…

「ラ・ラ・ランド」を観に映画館に連れていってもらった

とてもよい映画だった。 (できるだけまっさらな状態で観たい人は、読まないほうがいいかもしれません。) ▼ 予告編 www.youtube.com 夢追い人たち(dreamers)の物語だ。 途中、「どうして夢を追うのか?」に対して、「愛されたいから」という答えが発せら…

世界の抉り方

かの師は学生に、作品の内側にあるものから語り始めなさい、と言って指導するという。作品の周辺にある文脈や史実ではなく、作品そのものの内側にあるもの。 芸術などの作品だけでなく、おそらく世界だってそうだ。ある夜、かの師が懇親会でこう話すのを聞い…

向日葵の種

いろんなルートから考え続けているけど、どうも世界は向日葵の種のような形をしているようだ。 主観からの超越構成の議論だと、「どの主観?」という根本的な疑問が飛び越されてしまうしかない。そして、主観一般が超越一般を構成する議論が展開される。主観…

哲学対話における知的安全性とは?

このブログの文章、きわめて重要なことを言っている。とくに3ブロック目の対話がすごくいいと思う。 知的安全性とは、リラックスして何でも言える安心感のことではない。知的安全性とは、真理探求が邪魔されない、台無しにされないという安心感。だとすると…

哲学のための地味な作業

僕はイングランドの分析哲学畑で論文指導を受けた経緯があるので、質疑応答といえば、第一に論証の妥当性チェック。論証の各ステップによる推論のチェックだ。第二には、問いと論証がもつ前提の真理性チェック(真偽の検討)。 これらをするうえでは、問いと…

世界は謎の総体である

世界は謎の総体であり、事実の総体ではない。 The world is the totality of enigmas, not of facts. 世界を適切に記述するのは疑問文の集合であり、平叙文の集合ではない。 The world is properly described by a collection of interrogative sentences, n…