哲学の中庭

…と、真理の犬たち

あなたが時間なら

サルヴァトーレ・アダモの Si tu étais という歌に、 このような箇所がある。 あなたが時間なら 私は砂時計になる あなたは私の中でおぼれる Si tu étais le tempsJe serai sablierEt tu t'égrainerais en moi もう野暮なことを言い始めてしまうが、 もしあ…

砂場の哲学

*1 子ども(こそ)が哲学(対話)者であるのなら、大人は子どものように哲学(対話)しなければならない。でも、大人は本当に子どものように哲学(対話)を遊べるのだろうか。 砂場の子どもは砂そのものを楽しむ。これが大人には難しい。 さらさらの白い砂は…

マフィンからボーロへの秘密の手紙

*1 引用*2 私の哲学の方法は弁証法だが、弁証法のモデルは対話ではなく対話の不成立だ。対話する双方が相手の言っていることが本質的に理解できないような地点にまで対立点を先鋭化させる-一人の人間がそのように思考することによって、原理的に理解しあえ…

知的ケアとは ~哲学対話と「ケア」について~

哲学対話にかかわるようになってから、 「ケア」という言葉をよく聞くようになった。 「ケア」― これはどういう意味だろうか。 いろんな人が使うが、みんな同じ意味で使っているのだろうか。 あるいは、そもそもみんな、 自分がどういう意味で使っているのか…

なぜあなたは黙るのか?

*1 「立場」という力、パワーを笠に着て 相手を黙らせる人は、 相手が黙るしかない立場にあることを、 知っていてそうする。 すると、その「相手」であるあなたのほうは、 黙るしかない立場にあるから、 黙っているのだろうか。 じつは、そうではない。 あな…

「あなたならどんな哲学の場を作る?」という問い

▲ プラトンのアカデメイア跡地*1 「一軒の喫茶店をまかせるから自由にやってみてほしい」と言われたとする。 あなたならどんな喫茶店にするだろうか。 二種類の人がいるのではないだろうか。 一方には、自分自身にとってのよい喫茶店のイメージを思い描いて…

勇気ある探求とは?

▲ Wittgenstein, Culture and Value, pp. 38e-39e.*1 理念、理想ができてしまえば、 勇気も偽物になる。 本物の勇気が必要になるとき、 そんな立派なものの後押しはない。 さて、勇気ある探求とは何だろうか。 誰も探し当てたことのないものを求め、 誰も踏…

哲学と対話の間のパラドクシカルな循環

日本哲学プラクティス学会第一回大会に行ってきた。 そこ(で、発表するわけでなく、一人で勝手に考えるため)に密かにもって行った問いは、 (なぜ)哲学者は/が(哲学)対話の実践に参加する(べきな)のか? ここで私が考える哲学者とは(哲学教育や臨床…

ポジティブな1 ~マジカルな哲学対話~

ハワイの先生方は、「子どもの哲学」をやっていると訪れる感動的な体験を、"p4c magic" という言葉で表現していた。 哲学カフェでの対話は「子どもの哲学」とは少し違うかもしれないが、それでもマジカルな瞬間は訪れる。 東邦大学の哲学カフェは、今年度か…

問いが欲しがるものと、哲学者が欲しがるもの

コーハンさんのワークショップに 参加して学んだ最大のことは、 問いが欲しがっているのは答えではない ということだった。 コーハンさんが言ったように、 問いを見ると、答えたいという衝動がわく。 その衝動は、いわば錯覚だ。 問いは答えを欲しがってはい…

「まともではない人間」とは何か? — 人間探求にまつわるパラドックス

ヴィクトール・フランクルは、 強制収容所の監視者たちを観察した経験から、 このように書いた。 こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、二つの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、というこ…

青年的隠者

隠遁するのは 人の世に疲れた老人だけではない。 人の世を恐れる青年もまた、 その魂を内に隠遁させている。 その純粋さ、潔癖さによって、 青年の内に、核、もしくは道が、 ようやく形をなしはじめる。 そのとき、恐れから一転、 青年は自らの魂を、 外へ放…

この紋章がおわかりになるだろうか?

これはフルール・ド・リス、いわゆる「百合の紋章」。 フランス王家やフィレンツェの紋章としてよく知られる。*1 菖蒲の花を模しているとされるが、 さらにさかのぼれば蜜蜂の形に由来するという説もある。 *2 ところで個人的には、 インド由来のヴァジュラ…

指し示され動きはじめる闇

私はなんと小さいのだと、 思い知らせてくれる師がいることは、 幸いなことだ。 偉大な師は、 誰にも見えていなかった闇を、 初めて指し示す。 その闇は、世界の深層であり、私の深層。 その闇の深さを、私は思い知る。 その闇の深さに比して、私はあまりに…

埋葬と二人称

食卓の上にある、 命だったものを前にして、 「あなたの命をいただきます」 と言うことは、可能だろうか。 私たちは、 「あなた」と呼ぶことのできる相手を、 食べることはできるだろうか。 文明の始まりは、 〈埋葬〉だったという話がある。 庭で息絶えたス…

オチのある夢

たまに、オチのある夢を見る。 小型ドローンが、 家の窓のところに飛んできて、 窓の向こうのレンガに着地する。 「爆弾よ!」と母が叫ぶ。 僕は窓を開けて、 できるだけドローンに近づかないようにしながら、 ドローンを長いトングでつかみ、 向こうへ投げ…

哲学書を哲学書として読むには

▲ ライプニッツと書簡を交わしたゾフィー・シャルロッテ王妃*1 哲学書を、 文学作品のように読んでいては、 いつまでたっても哲学はできない。 哲学書を読むと、 世界が違うしかたで見えたりする。 たしかに哲学書には、 その種の、芸術のような効果もある。…

愛知者にとって他者とは

*1 知を愛する人にとって、 固執は大きな妨げとなる。 知に少しでも近づくためには、 いまの自分の考えから とにかく動かなければならない。 考えを変えずにとどまっていては、 知に近づくことは当然できない。 ただ、「考えが変わる」といっても、 自分の考…

「二人静」について ~能舞台にみえるものとみえないもの~

観世能楽堂へ行った。 能の演目は「絵馬」と「二人静」。 狂言は「柑子」。 能を観にいくのは、 この世ならぬものをこの目で見るため。 狂言を観るのは、 意味を脱した滑稽で笑うため。 いわば、能はこの世を上に超えており、 狂言はこの世を下に超えている…

愛と知の循環

▲ ミカエルとルシフェル*1 否定することが いけないことだとしたら、 どうしていけないのか。 否定された側を傷つけるから? 否定された側に不利益を与えるから? 自分自身の経験を狭めてしまうから? ▼ 雷神インドラは、蛇の怪物ヴリトラを退治する*2 ある…

いまよみがえる悪夢

*1 哺乳類としての私たちの祖先は、 1億年以上も前から、 恐竜をはじめとする 爬虫類におびえながら生きてきた。 そして、いまだに私たちは、 たとえば森に入れば、 蛇におびえなければいけない。 1億年以上の恐ろしい記憶が、 私たちの奥底にはある。 そ…

目の前にいる私を見て

目の前にいる人に、 何者として扱われたいだろうか。 何者として見られたいだろうか。 〈人間を、 たんに手段としてのみ用いてはならず、 同時に目的とせよ〉 というカント的な義務がある。 しかし、 この義務を果たすための手段として、 人間を用いてよいの…

観想のない時代 ~哲学は必死であった~

語りえないものも、 語ってはいけないものも、 ともに忘れられ、 哲学が窮屈そうにしている。 加えてこの国には、 語ると野暮なものまである。 悠長なものだ。 窮屈さを逃れるために、 愛でたり味わったりすることを 選んだのだろうか。 観想は鑑賞ではない…

ジャコメッティの樹

国立新美術館の「ジャコメッティ展」は、 立像から始まった。 プラトンの人間論、 人間は頭から下へ向かって生えた樹である、 という説を思い出していた。 ジャコメッティの立像たちは、 どうやら頭から生えているのではなさそうだ。 さて、これらはどこから…

ダイアレクティック(あるいは対話)をめぐるパラドックス

イングランドで 出会った先生方の多くが、 石黒ひで先生のことを 非常に高く評価していたのを よく憶えている。 その石黒先生の指導について、 河野先生からお話を聞くことができた。 ポジションをとりなさい。 そのポジションにコミットして、 それを可能な…

「物語」について考えたつづき ~絵画・演劇・哲学へ~

コアトークカフェの、 「物語」をテーマにした哲学対話に参加してきた。 哲学対話なので、もやもやが気持ちいいのだが、 今回はすっきりと整理できたところも多かった。 やはり素晴らしい対話の場所だ。 さて、「物語」とは何か? 「物語」は、「事実の羅列…

子どもは思考も身体もふにゃふにゃ

思考が硬直しがちな人は、 身体が硬直しがちに見える。 大人になると思考が硬直しがちになるのは、 身体を含めた自分の存在全体のとる構えが 硬直するからだ。 自分の生活、 自分の心、 自分の身体にばかり注意を向けていると、 自分というもの全体の構えが…

苦しみとの結合

ひたすらに慈愛を説くキリスト教。 慈愛は苦しみを生むが苦しみをも受容せよと。 はたらくのは結合の原理。 結合は苦しみを生むが、 苦しみとさえ結合する生のありかた。 結合の大体系化としての生。 分離の原理によって 一なる始元に近づこうとするのが 仏…

洗礼のパラドックス?

オックスフォードの年輩の哲学者たちと 食事をしていたら突然、 一人がかしこまって 僕のほうを向き、 「皆で話し合って、 ショウゴにキリスト教の洗礼を 受けてもらうことにしたよ。」 唖然としたものの、 (英国流?)冗談だった。 けれども、 洗礼のもつ意…

本に呼ばれるという試練

本屋に呼ばれるときは、 本が呼んでいるのかもしれない。 八重洲ブックセンターには、 哲学コーナーのあるフロアより 上の階に行こうとすると、 こんな試練まであった。 *1 いまはエレベーターがあるらしい。 この看板、いまはいずこ… ボーロ *1: http://blo…