哲学の中庭

…と、真理の犬たち

知への愛ではない、愛とは知りたいということ 2

前にも書いたように、 フィロソフォスという人間は、 知を愛するというよりも、 愛するからこそ知りたいのだ。 「何を探求するのかを すでに知っているのでなければ 探求はできないではないか。」 この「探求のパラドックス」への 応答はこうなる。 私は、愛…

根源的遭遇のための対話

昨日の哲学対話では、 ああ今日はこの対話があってよかったと 確信をもてる瞬間が現れた。 真実の瞬間だ。 それは本当に一瞬のことで、 一人の方が、 魂の底から言葉を発したのだ。 その声、意味、表情は、 謎として記憶に刻まれる。 僕が対話の場を開くとし…

〈存在〉するための〈借り〉

宇宙の始まりと 進展と終わりについての、 面白い説を聞いた。 宇宙は、 エネルギーをどこからか 借りてきたから 始まることができた。 宇宙が膨張しているいまは、 それを返している最中なのだ、と。 どういうわけか存在している私に、 この説があてはまる…

しっぽとアース

最近はあまり見なくなった気もするが、 車のうしろから垂れ下がっているヒモ、 あれは電気を地面に逃がすためのものだ という話があった。 電化製品だとアースという線があって、 これも電気を地面に逃がすための線。 しっぽは脊椎動物にとって このアースみ…

どうして哲学対話をやっているのか

どうして、 自分の哲学の外へ出なければいけないのか。 どうして、 自分の哲学を理解してくれないであろう人と、 対話しなければいけないのか。 そんな根本的な問いを投げかけられた。 今の僕には答えることができなかった。 たしかに、自分だけの問いがあり…

世界の穴 ~哲学者たち水族館へ行く~

哲学者たちと水族館へ。 そのなかには家族連れの哲学者もいた。 小さな息子さんの輝く魂は 好奇心に満ちて、 得体の知れない生き物たちに 眠る間もなく見入っていた。 大人の僕でさえ、 見たことのない生き物がまだまだいることを知り、 地球の広さを思うと…

問題と問い

「私が問題Aに関心をもつのは、 私がBであるような人だからだ。」 このような思考、または語り方のなかで、 Bがすでに問題Aによって 規定された表現に なってしまっている場合がある。 このようなときに最も、 僕はその問題の根深さを感じる。 そこまで…

哲学の厳密さと直観

2つの三角形が似て見える、 同じに見える、 と多くの人が言うなかで、 論証によってそれらが合同か否かを 考えようとするのが、 幾何学の厳密さだ。 哲学の厳密さは、 もともとこれに相当する。 (似て見える、同じに見える、 という言説の、 なんと蔓延し…

〈可能〉と〈存在〉の対話

ニコラウス・クザーヌスにとって、 可能は、存在にすら先立つ。 「そんなはずはない。 存在こそがあらゆるものに先立つのだ。 あらゆるものは、 何らかのものである限り、 何らかのものとして、 すでに存在してしまっている。 存在こそが、 あらゆるものをあ…

知への愛ではない、愛とは知りたいということ

哲学対話をすると、 わからないことが余計に増える。 けれども、いろんな問いが、 みんな深いところでつながっている、 ということはわかる。 そんなことをつくづく感じた 哲学カフェの日だった。 「恋愛感情は必要か?」 「人としてなくしてはいけないもの…

まさにここにあるもの

「哲学では、 一般的なものについてだけでなく、 個物について考えることができるんです。」 そう若者は言った。 何をわかったようなことを。 目の前の人間ですら見えてないくせに。 僕は言った。 「あなたは、ここにある筆箱や紙について 考えていますか? …

翠玉白菜の中身はどうなっているのか?

台北の故宮博物院にある 白菜のことを考えさせられていた。 「翠玉白菜」と呼ばれているらしい。 翡翠でできてる白菜のことしか考えられないメンタリティになってきた pic.twitter.com/sbHTS1s2Vu — y.kurihara (@jh7gjg) 2017年6月1日 たとえば、白菜の絵が…

「足」という2つの肉塊あるいは出入口

足首より下、 つまり足の甲・足の裏・足の指には、 筋肉や腱が細かくはりめぐらされている。 33の関節があり、 100以上もの筋肉・腱・靱帯があるのだそうだ。 ▼ 参照 The forgotten muscles in your feet (骨の数はなんと体中の約4分の1を占めるのだ…

何が循環を引き起こすのか? ~現象論的唯一性と形而上学的唯一性~

空間には、私を中心とした向きがある。 上下、左右、前後、のように。 さて、空間の向きの「中心」は唯一だ。 そう観念論や現象学は説明する。 だとすると、他人を中心とした向きは、 私を中心とした向きの、 何らかの仕方での複数化(分有)だということに…

霊的経験の亡霊 ~近代以降の「経験」をめぐる循環~

友人と能を観た。 その友人がブログでこう書いている。 ところで、こうした宗教的祭典では当たり前のように霊的直観が、演者や作者のみならず観客にももたらされたことであろう。そうした霊的直観を、対象的に研究することは学問的に現代でも可能である。け…

探求者にとって〈教養〉とは

「教養とは何か?」 これについては様々な考えがあるだろう。 ただ、こんな暗黙の共通理解があるのではないか。 「教養とは、広く共有された古典的知識のことだ。」 だから、「教養」を踏まえたコミュニケーションでは、 共有された知識にまつわる 情報交換…

哲学対話における〈度し難い傲慢〉

UTCP Index (2012-2017) をご恵投いただいた。 封を切り、ページをパラパラとめくると、小林康夫先生のページ。 同じ冊子の隅にでも寄稿できなかったことが苦く感じられる。 目にしたことのある文章。 約2年前のブログの文章の再録だ。 対話がどの意味にお…

問題の罠

「問題」というものは うっかり自分が見つかると、 「解決したい気持ち」を 煙幕のようにまいて逃げる。 そして、 人間が「解決したい気持ち」に 気を取られているうちに、 隠れて逃げてしまう。 これが、〈問題の罠〉というもの。 「問題」という姿を借りた…

無限に強い光が無限に弱まると

「無限に強い光は、 その無限の強さのため、 無限に遠くまで届きます。」 偉い人たちの前に立って、 僕は話をしている。 「無限に遠くとは、 変なことを言うな。」 しかめ顔と嘲笑。 「この光は、 遠くへ行くごとに、 弱まっていきます。 ですから、 無限に…

哲学の中庭

哲学の中庭は、 ぼろぼろになった真理の犬たちが 休む中庭。 いつか魂の救済を きちんとあきらめたら、 せめてそんな中庭をつくりたい。 ボーロ

実存と言語分析

「実存」はどんな性質(本質、~であること)を複製・再現したとしても再現されるはずのないものだが、通俗的にはなぜかそのようなものを表す言葉になっている。 そして、永井均氏のいう〈私〉を通俗的「実存」として理解している人までいる。そんなものは特…

哲学探求の前進とは?

毎日、哲学ノートを書いている。 ほんの少しずつだが、探求は確実に進んでいる。 新たな問いが目の前に開けたときに、 前進の快感を得ることができる。 学生たちと、 「私とは何か?」という問いについて、 パスカルとともに考えている。 学生たちの言うこと…

夢・幻想・光 ~まどかとヴォランドと僕の対話~

今月末に来るワルプルギスの夜の前に、 明日(4月16日)は復活祭。 復活祭は、キリストの復活祭である前に、 太陽の復活祭だったという話がある。 光がよみがえるのだ。 夢は光でできている。 幻想は闇でできている。 夢をみる子どもと、みない子どもがい…

魂の錬金術と魔法少女

今月の終わりにワルプルギスの夜が来る。 昔、イングランドの魔女たちとすごした ワルプルギスの夜は忘れがたい。 とくに何がって、 鳥のさえずるたんなる朝の輝きが。 遅ればせながら、 「魔法少女まどか☆マギカ」を観て 身につまされている。 僕は人と真に…

端的な無限からの限定の話

今日の永井ゼミでの時間論は熱かった。 発表者のTさんはとにかく素晴らしかった。 先生との対話が溢れ出た。 ヒューミアンのNさんは、 未来の不思議さにこだわっていた。 ゼミのあと、 与えられた無限定からの限定の話をした。 それと、端的な無限からの限…

世界を愛で満たすには

私の体は、動きたい方向を伝えてくる。*1 しかし日常生活は、 行かなければいけない場所や、 しなければいけない動作でいっぱいなので、 体の動きたい方向は無視されている。 体が空腹なら、 体は食べたい物への方向を伝えてくる。 ところが、体の伝えてくる…

古代から続く哲学対話に入る

哲学の伝統と、 伝統とは無関係な個人的観点との間の 葛藤あるいはダイアレクティックのない 哲学などあるだろうか。 たとえば、哲学対話の場合でも、 複数人で考えていることと、 一人で考えていることととが、 同時進行している。 参加者の一人一人は、 そ…

体に穴をあける叡智

友人に名医を紹介してもらい、 鍼灸院へ。 ふだんから違和感のある場所を みごとに触わり当てられながら、 「これはかわいそうだ。 ここまで疲労していては 休んでいても治らない」 と言われる。 施術の最中から、 すでに素晴らしい効果を感じる。 いまも鍼…

祭のあとの独り言

賑やかだった春休みが終わった。 楽しかったけど、 やっぱり賑やかすぎるのは向いてないな …ということがちゃんとわかった。 カンテラを置いて、 ふたたび空気の薄い山の上へ。 この春休みは、 やり場が整っていないのに、 急にエネルギーが出てきてしまった…

図書室の二人

小学校一年生のとき、 同じクラスに、ダウン症候群をもつ女の子がいた。 子どもの僕はそれが何なのかを知らないので、 少し特別な女の子というくらいに思っていた。 何やら大きな小学校というところや、 同年代の子たちに対する恐れがあったとき、 その子と…