円坐の静けさと沈黙
円坐。
テーマも目的もなく人々が集まり車座になる、
原始的で根源的な会。
始まってからおよそ30分、
誰も話さない。
思いがけない感覚や考えが次々によぎる、
豊かな静けさ。
この豊かな静けさと引き換えにできる声を、
僕はもたなかった。
3時間にわたる会のあいだ、
僕はほとんど話さなかった。
沈黙し、人の顔をみて、声を聴く。
おもしろくてしかたがない。
過去の会で話されたことよりも、
雰囲気をよく憶えていると言う人。
話されたことをよく憶えていると言う人。
そうか、僕は哲学対話のときも、
人の表情と声の出しかたを、
よく憶えている。
僕は黙って、人の顔をみて、声を聴く。
哲学対話なら話したくなってしまうが、
どうしても黙っていたい。
自分のこの沈黙と引き換えにできる声を、
僕はもたなかった。
話さないのに対話をおもしろがる人の気持ちが、
今日はじめて理解できた。
ボーロ