哲学の中庭

…と、真理の犬たち

「人間原理」とアキレスと亀

「なぜ宇宙はこんなにも秩序だっているのだろう?」

「何を驚いているんだい?

そのように問う複雑で知的な生物がいるということは、

当然宇宙は秩序だっているに決まってる。

何も不思議なことはないよ。」

 

たとえば「人間原理」という考え方は、この種の答え方をする。

問いが成立するための必要条件の中に、問いの答えを求めるわけだ。

 

もっとわかりやすい例を考えてみよう。

「どうして言葉が存在するのだろう?」

「何を驚いているんだい?

そのような問いを言葉で問えるということは、

当然言葉が存在しなければいけないに決まってる。

何も不思議なことはないよ。」

 

こう言い返してはどうだろうか。

「たしかにそうも言える。でもそれは、

『仮に問いを言葉で問えるなら、当然言葉がある』

という法則にすぎない。

これはたしかに当たり前のことで、不思議ではない。

だとしても、私はこう問いたい。

『どうして、仮にではなく現に、問いを言葉で問えるのか?』」

 

だが、こんな答えが待っているだろう。

「何を驚いているんだい?

『どうして、仮にではなく現に、言葉で問いを問えるのか?』

という問いを言葉で問えるためには、

当然言葉がなければいけないに決まってる。

何も不思議なことはないよ。」

 

〈現に〉がどうしても見えてしまうアキレスと、

「仮に」しか見えない亀とが、

ここでもおしゃべりをつづけている。*1

 

 

 ボーロ