哲学の中庭

…と、真理の犬たち

古代から続く哲学対話に入る

哲学の伝統と、

伝統とは無関係な個人的観点との間の

葛藤あるいはダイアレクティックのない

哲学などあるだろうか。

 

たとえば、哲学対話の場合でも、

複数人で考えていることと、

一人で考えていることととが、

同時進行している。

 

参加者の一人一人は、

それらの間を往復することになる。

 

重要なのは、その往復によって生じる

ダイアレクティックだ。

いわば、複数人での思考と

一人での思考との間にこそ、

対話と葛藤が生じるべきなのだ。

 

このダイアレクティックは、

発言すれば複数人での思考になるかもしれないし、

そのまま一人での思考として続けられるかもしれない。

 

いずれにしても、対話の場であっても、

複数人で考えていることとは別にある、

一人で考えていることに注意を向けてみてほしい。

そう僕がいつも強調するのは、

このダイアレクティックこそが

本当の哲学だという考えがあるからだ。

 

哲学の伝統と個人的哲学にかんしてもそうだ。

古代から続く哲学対話の輪に、

哲学者は入る。

その輪の複数人が考えていることに、

ただ付き合って考えるのではない。

かといって、もちろん、

対話と無関係に一人で考えるだけでもない。

 

双方の思考の間に往復運動が起き、

それがダイアレクティックになったときに、

本当の哲学が始まるのだ。

 

 

 ボーロ