哲学の中庭

…と、真理の犬たち

知への愛ではない、愛とは知りたいということ 2

前にも書いたように、

フィロソフォスという人間は、

知を愛するというよりも、

愛するからこそ知りたいのだ。

 

「何を探求するのかを

すでに知っているのでなければ

探求はできないではないか。」

 

この「探求のパラドックス」への

応答はこうなる。

 

私は、愛のはたらきがあることを、

内側から知っている。

そのはたらきが

どこへ向かうのかをこそ、

探求したいのだ。

 

 

 ボーロ