哲学の中庭

…と、真理の犬たち

子どもは思考も身体もふにゃふにゃ

思考が硬直しがちな人は、

身体が硬直しがちに見える。

 

大人になると思考が硬直しがちになるのは、

身体を含めた自分の存在全体のとる構えが

硬直するからだ。

 

自分の生活、

自分の心、

自分の身体にばかり注意を向けていると、

自分というもの全体の構えが硬直してしまう。

すると、思考までもが硬直してしまう。

 

子どもは思考も身体もふにゃふにゃ。

 

構えは世界に向け、

注意を世界と自分のあいだで往復させる。

 

すると構えは緩み、

思考は流動を始める。

 

別の面からはこう言える。

分離する厳しさというものは、

思考を強固にする一方で、

思考を硬直させる。

 

その厳しさを解いて、

世界と他人を受けいれる。

すると、思考が流動しはじめるのだ。

 

(僕が哲学対話においてまず大事だと思うのは、この流動が起こること。

西洋哲学の理念とは異なるが、厳格さは補助的な役割を果たせばよいと思っている。

哲学対話はうまくいかなくたっていい。

それどころか何が起きたっていい。

それは世界で起きることなのだから。

そう受けいれてしまうと、うまくいかなかったと思った対話が、思考を流動させてくれるようになる。)

 

 

 ボーロ