哲学の中庭

…と、真理の犬たち

哲学探求の前進とは?

毎日、哲学ノートを書いている。

ほんの少しずつだが、探求は確実に進んでいる。

新たな問いが目の前に開けたときに、

前進の快感を得ることができる。

 

学生たちと、

「私とは何か?」という問いについて、

パスカルとともに考えている。

学生たちの言うことは、驚くほど鋭い。

 

パスカルと学生たちの共同探求によって、

「私とは何か?」という問いから、

「宇宙って何?」

「想像力って自分と他人で同じ?」

「『AはAだ』は正しいけどなんか変では?」

などの問いが出てくる。

 

鋭い考えによって、

最初の問いから、

いくつもの問いが出てくるのだ。

 

学生たちの中には、

手ごたえを感じられない人もいるかもしれない。

「先生は嬉しそうにほめてくれるけど、

問いが増えてわからなくなっていくだけじゃんか」と。

 

次回の授業でする予定の話だが、

最初の問いから、

そこに含まれていた諸々の問いが明らかになることこそが、

探求の前進なのだ。

 

しかし、どうしてそうなのだろう?

まさか、やっぱりそうなのだろうか。

世界は、

物や事実でできているのではなくて、

本当に謎でできている。

だから世界を切ると

謎がこぼれ落ちるのではないだろうか。

 

 

 ボーロ