哲学の中庭

…と、真理の犬たち

2017-01-01から1年間の記事一覧

いまよみがえる悪夢

*1 哺乳類としての私たちの祖先は、 1億年以上も前から、 恐竜をはじめとする 爬虫類におびえながら生きてきた。 そして、いまだに私たちは、 たとえば森に入れば、 蛇におびえなければいけない。 1億年以上の恐ろしい記憶が、 私たちの奥底にはある。 そ…

目の前にいる私を見て

目の前にいる人に、 何者として扱われたいだろうか。 何者として見られたいだろうか。 〈人間を、 たんに手段としてのみ用いてはならず、 同時に目的とせよ〉 というカント的な義務がある。 しかし、 この義務を果たすための手段として、 人間を用いてよいの…

観想のない時代 ~哲学は必死であった~

語りえないものも、 語ってはいけないものも、 ともに忘れられ、 哲学が窮屈そうにしている。 加えてこの国には、 語ると野暮なものまである。 悠長なものだ。 窮屈さを逃れるために、 愛でたり味わったりすることを 選んだのだろうか。 観想は鑑賞ではない…

ジャコメッティの樹

国立新美術館の「ジャコメッティ展」は、 立像から始まった。 プラトンの人間論、 人間は頭から下へ向かって生えた樹である、 という説を思い出していた。 ジャコメッティの立像たちは、 どうやら頭から生えているのではなさそうだ。 さて、これらはどこから…

ダイアレクティック(あるいは対話)をめぐるパラドックス

イングランドで 出会った先生方の多くが、 石黒ひで先生のことを 非常に高く評価していたのを よく憶えている。 その石黒先生の指導について、 河野先生からお話を聞くことができた。 ポジションをとりなさい。 そのポジションにコミットして、 それを可能な…

「物語」について考えたつづき ~絵画・演劇・哲学へ~

コアトークカフェの、 「物語」をテーマにした哲学対話に参加してきた。 哲学対話なので、もやもやが気持ちいいのだが、 今回はすっきりと整理できたところも多かった。 やはり素晴らしい対話の場所だ。 さて、「物語」とは何か? 「物語」は、「事実の羅列…

子どもは思考も身体もふにゃふにゃ

思考が硬直しがちな人は、 身体が硬直しがちに見える。 大人になると思考が硬直しがちになるのは、 身体を含めた自分の存在全体のとる構えが 硬直するからだ。 自分の生活、 自分の心、 自分の身体にばかり注意を向けていると、 自分というもの全体の構えが…

苦しみとの結合

ひたすらに慈愛を説くキリスト教。 慈愛は苦しみを生むが苦しみをも受容せよと。 はたらくのは結合の原理。 結合は苦しみを生むが、 苦しみとさえ結合する生のありかた。 結合の大体系化としての生。 分離の原理によって 一なる始元に近づこうとするのが 仏…

洗礼のパラドックス?

オックスフォードの年輩の哲学者たちと 食事をしていたら突然、 一人がかしこまって 僕のほうを向き、 「皆で話し合って、 ショウゴにキリスト教の洗礼を 受けてもらうことにしたよ。」 唖然としたものの、 (英国流?)冗談だった。 けれども、 洗礼のもつ意…

本に呼ばれるという試練

本屋に呼ばれるときは、 本が呼んでいるのかもしれない。 八重洲ブックセンターには、 哲学コーナーのあるフロアより 上の階に行こうとすると、 こんな試練まであった。 *1 いまはエレベーターがあるらしい。 この看板、いまはいずこ… ボーロ *1: http://blo…

知への愛ではない、愛とは知りたいということ 2

前にも書いたように、 フィロソフォスという人間は、 知を愛するというよりも、 愛するからこそ知りたいのだ。 「何を探求するのかを すでに知っているのでなければ 探求はできないではないか。」 この「探求のパラドックス」への 応答はこうなる。 私は、愛…

根源的遭遇のための対話

昨日の哲学対話では、 ああ今日はこの対話があってよかったと 確信をもてる瞬間が現れた。 真実の瞬間だ。 それは本当に一瞬のことで、 一人の方が、 魂の底から言葉を発したのだ。 その声、意味、表情は、 謎として記憶に刻まれる。 僕が対話の場を開くとし…

〈存在〉するための〈借り〉

宇宙の始まりと 進展と終わりについての、 面白い説を聞いた。 宇宙は、 エネルギーをどこからか 借りてきたから 始まることができた。 宇宙が膨張しているいまは、 それを返している最中なのだ、と。 どういうわけか存在している私に、 この説があてはまる…

しっぽとアース

最近はあまり見なくなった気もするが、 車のうしろから垂れ下がっているヒモ、 あれは電気を地面に逃がすためのものだ という話があった。 電化製品だとアースという線があって、 これも電気を地面に逃がすための線。 しっぽは脊椎動物にとって このアースみ…

どうして哲学対話をやっているのか

どうして、 自分の哲学の外へ出なければいけないのか。 どうして、 自分の哲学を理解してくれないであろう人と、 対話しなければいけないのか。 そんな根本的な問いを投げかけられた。 今の僕には答えることができなかった。 たしかに、自分だけの問いがあり…

世界の穴 ~哲学者たち水族館へ行く~

哲学者たちと水族館へ。 そのなかには家族連れの哲学者もいた。 小さな息子さんの輝く魂は 好奇心に満ちて、 得体の知れない生き物たちに 眠る間もなく見入っていた。 大人の僕でさえ、 見たことのない生き物がまだまだいることを知り、 地球の広さを思うと…

問題と問い

「私が問題Aに関心をもつのは、 私がBであるような人だからだ。」 このような思考、または語り方のなかで、 Bがすでに問題Aによって 規定された表現に なってしまっている場合がある。 このようなときに最も、 僕はその問題の根深さを感じる。 そこまで…

哲学の厳密さと直観

2つの三角形が似て見える、 同じに見える、 と多くの人が言うなかで、 論証によってそれらが合同か否かを 考えようとするのが、 幾何学の厳密さだ。 哲学の厳密さは、 もともとこれに相当する。 (似て見える、同じに見える、 という言説の、 なんと蔓延し…

〈可能〉と〈存在〉の対話

ニコラウス・クザーヌスにとって、 可能は、存在にすら先立つ。 「そんなはずはない。 存在こそがあらゆるものに先立つのだ。 あらゆるものは、 何らかのものである限り、 何らかのものとして、 すでに存在してしまっている。 存在こそが、 あらゆるものをあ…

知への愛ではない、愛とは知りたいということ

哲学対話をすると、 わからないことが余計に増える。 けれども、いろんな問いが、 みんな深いところでつながっている、 ということはわかる。 そんなことをつくづく感じた 哲学カフェの日だった。 「恋愛感情は必要か?」 「人としてなくしてはいけないもの…

まさにここにあるもの

「哲学では、 一般的なものについてだけでなく、 個物について考えることができるんです。」 そう若者は言った。 何をわかったようなことを。 目の前の人間ですら見えてないくせに。 僕は言った。 「あなたは、ここにある筆箱や紙について 考えていますか? …

翠玉白菜の中身はどうなっているのか?

台北の故宮博物院にある 白菜のことを考えさせられていた。 「翠玉白菜」と呼ばれているらしい。 翡翠でできてる白菜のことしか考えられないメンタリティになってきた pic.twitter.com/sbHTS1s2Vu — y.kurihara (@jh7gjg) 2017年6月1日 たとえば、白菜の絵が…

「足」という2つの肉塊あるいは出入口

足首より下、 つまり足の甲・足の裏・足の指には、 筋肉や腱が細かくはりめぐらされている。 33の関節があり、 100以上もの筋肉・腱・靱帯があるのだそうだ。 ▼ 参照 The forgotten muscles in your feet (骨の数はなんと体中の約4分の1を占めるのだ…

何が循環を引き起こすのか? ~現象論的唯一性と形而上学的唯一性~

空間には、私を中心とした向きがある。 上下、左右、前後、のように。 さて、空間の向きの「中心」は唯一だ。 そう観念論や現象学は説明する。 だとすると、他人を中心とした向きは、 私を中心とした向きの、 何らかの仕方での複数化(分有)だということに…

霊的経験の亡霊 ~近代以降の「経験」をめぐる循環~

友人と能を観た。 その友人がブログでこう書いている。 ところで、こうした宗教的祭典では当たり前のように霊的直観が、演者や作者のみならず観客にももたらされたことであろう。そうした霊的直観を、対象的に研究することは学問的に現代でも可能である。け…

探求者にとって〈教養〉とは

「教養とは何か?」 これについては様々な考えがあるだろう。 ただ、こんな暗黙の共通理解があるのではないか。 「教養とは、広く共有された古典的知識のことだ。」 だから、「教養」を踏まえたコミュニケーションでは、 共有された知識にまつわる 情報交換…

哲学対話における〈度し難い傲慢〉

UTCP Index (2012-2017) をご恵投いただいた。 封を切り、ページをパラパラとめくると、小林康夫先生のページ。 同じ冊子の隅にでも寄稿できなかったことが苦く感じられる。 目にしたことのある文章。 約2年前のブログの文章の再録だ。 対話がどの意味にお…

問題の罠

「問題」というものは うっかり自分が見つかると、 「解決したい気持ち」を 煙幕のようにまいて逃げる。 そして、 人間が「解決したい気持ち」に 気を取られているうちに、 隠れて逃げてしまう。 これが、〈問題の罠〉というもの。 「問題」という姿を借りた…

無限に強い光が無限に弱まると

「無限に強い光は、 その無限の強さのため、 無限に遠くまで届きます。」 偉い人たちの前に立って、 僕は話をしている。 「無限に遠くとは、 変なことを言うな。」 しかめ顔と嘲笑。 「この光は、 遠くへ行くごとに、 弱まっていきます。 ですから、 無限に…

哲学の中庭

哲学の中庭は、 ぼろぼろになった真理の犬たちが 休む中庭。 いつか魂の救済を きちんとあきらめたら、 せめてそんな中庭をつくりたい。 ボーロ