哲学の中庭

…と、真理の犬たち

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学の厳密さと直観

2つの三角形が似て見える、 同じに見える、 と多くの人が言うなかで、 論証によってそれらが合同か否かを 考えようとするのが、 幾何学の厳密さだ。 哲学の厳密さは、 もともとこれに相当する。 (似て見える、同じに見える、 という言説の、 なんと蔓延し…

〈可能〉と〈存在〉の対話

ニコラウス・クザーヌスにとって、 可能は、存在にすら先立つ。 「そんなはずはない。 存在こそがあらゆるものに先立つのだ。 あらゆるものは、 何らかのものである限り、 何らかのものとして、 すでに存在してしまっている。 存在こそが、 あらゆるものをあ…

知への愛ではない、愛とは知りたいということ

哲学対話をすると、 わからないことが余計に増える。 けれども、いろんな問いが、 みんな深いところでつながっている、 ということはわかる。 そんなことをつくづく感じた 哲学カフェの日だった。 「恋愛感情は必要か?」 「人としてなくしてはいけないもの…

まさにここにあるもの

「哲学では、 一般的なものについてだけでなく、 個物について考えることができるんです。」 そう若者は言った。 何をわかったようなことを。 目の前の人間ですら見えてないくせに。 僕は言った。 「あなたは、ここにある筆箱や紙について 考えていますか? …

翠玉白菜の中身はどうなっているのか?

台北の故宮博物院にある 白菜のことを考えさせられていた。 「翠玉白菜」と呼ばれているらしい。 翡翠でできてる白菜のことしか考えられないメンタリティになってきた pic.twitter.com/sbHTS1s2Vu — y.kurihara (@jh7gjg) 2017年6月1日 たとえば、白菜の絵が…