哲学の中庭

…と、真理の犬たち

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

子どもは思考も身体もふにゃふにゃ

思考が硬直しがちな人は、 身体が硬直しがちに見える。 大人になると思考が硬直しがちになるのは、 身体を含めた自分の存在全体のとる構えが 硬直するからだ。 自分の生活、 自分の心、 自分の身体にばかり注意を向けていると、 自分というもの全体の構えが…

苦しみとの結合

ひたすらに慈愛を説くキリスト教。 慈愛は苦しみを生むが苦しみをも受容せよと。 はたらくのは結合の原理。 結合は苦しみを生むが、 苦しみとさえ結合する生のありかた。 結合の大体系化としての生。 分離の原理によって 一なる始元に近づこうとするのが 仏…

洗礼のパラドックス?

オックスフォードの年輩の哲学者たちと 食事をしていたら突然、 一人がかしこまって 僕のほうを向き、 「皆で話し合って、 ショウゴにキリスト教の洗礼を 受けてもらうことにしたよ。」 唖然としたものの、 (英国流?)冗談だった。 けれども、 洗礼のもつ意…

本に呼ばれるという試練

本屋に呼ばれるときは、 本が呼んでいるのかもしれない。 八重洲ブックセンターには、 哲学コーナーのあるフロアより 上の階に行こうとすると、 こんな試練まであった。 *1 いまはエレベーターがあるらしい。 この看板、いまはいずこ… ボーロ *1: http://blo…

知への愛ではない、愛とは知りたいということ 2

前にも書いたように、 フィロソフォスという人間は、 知を愛するというよりも、 愛するからこそ知りたいのだ。 「何を探求するのかを すでに知っているのでなければ 探求はできないではないか。」 この「探求のパラドックス」への 応答はこうなる。 私は、愛…

根源的遭遇のための対話

昨日の哲学対話では、 ああ今日はこの対話があってよかったと 確信をもてる瞬間が現れた。 真実の瞬間だ。 それは本当に一瞬のことで、 一人の方が、 魂の底から言葉を発したのだ。 その声、意味、表情は、 謎として記憶に刻まれる。 僕が対話の場を開くとし…

〈存在〉するための〈借り〉

宇宙の始まりと 進展と終わりについての、 面白い説を聞いた。 宇宙は、 エネルギーをどこからか 借りてきたから 始まることができた。 宇宙が膨張しているいまは、 それを返している最中なのだ、と。 どういうわけか存在している私に、 この説があてはまる…

しっぽとアース

最近はあまり見なくなった気もするが、 車のうしろから垂れ下がっているヒモ、 あれは電気を地面に逃がすためのものだ という話があった。 電化製品だとアースという線があって、 これも電気を地面に逃がすための線。 しっぽは脊椎動物にとって このアースみ…

どうして哲学対話をやっているのか

どうして、 自分の哲学の外へ出なければいけないのか。 どうして、 自分の哲学を理解してくれないであろう人と、 対話しなければいけないのか。 そんな根本的な問いを投げかけられた。 今の僕には答えることができなかった。 たしかに、自分だけの問いがあり…