哲学の中庭

…と、真理の犬たち

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学対話における〈度し難い傲慢〉

UTCP Index (2012-2017) をご恵投いただいた。 封を切り、ページをパラパラとめくると、小林康夫先生のページ。 同じ冊子の隅にでも寄稿できなかったことが苦く感じられる。 目にしたことのある文章。 約2年前のブログの文章の再録だ。 対話がどの意味にお…

問題の罠

「問題」というものは うっかり自分が見つかると、 「解決したい気持ち」を 煙幕のようにまいて逃げる。 そして、 人間が「解決したい気持ち」に 気を取られているうちに、 隠れて逃げてしまう。 これが、〈問題の罠〉というもの。 「問題」という姿を借りた…

無限に強い光が無限に弱まると

「無限に強い光は、 その無限の強さのため、 無限に遠くまで届きます。」 偉い人たちの前に立って、 僕は話をしている。 「無限に遠くとは、 変なことを言うな。」 しかめ顔と嘲笑。 「この光は、 遠くへ行くごとに、 弱まっていきます。 ですから、 無限に…

哲学の中庭

哲学の中庭は、 ぼろぼろになった真理の犬たちが 休む中庭。 いつか魂の救済を きちんとあきらめたら、 せめてそんな中庭をつくりたい。 ボーロ

実存と言語分析

「実存」はどんな性質(本質、~であること)を複製・再現したとしても再現されるはずのないものだが、通俗的にはなぜかそのようなものを表す言葉になっている。 そして、永井均氏のいう〈私〉を通俗的「実存」として理解している人までいる。そんなものは特…

哲学探求の前進とは?

毎日、哲学ノートを書いている。 ほんの少しずつだが、探求は確実に進んでいる。 新たな問いが目の前に開けたときに、 前進の快感を得ることができる。 学生たちと、 「私とは何か?」という問いについて、 パスカルとともに考えている。 学生たちの言うこと…

夢・幻想・光 ~まどかとヴォランドと僕の対話~

今月末に来るワルプルギスの夜の前に、 明日(4月16日)は復活祭。 復活祭は、キリストの復活祭である前に、 太陽の復活祭だったという話がある。 光がよみがえるのだ。 夢は光でできている。 幻想は闇でできている。 夢をみる子どもと、みない子どもがい…

魂の錬金術と魔法少女

今月の終わりにワルプルギスの夜が来る。 昔、イングランドの魔女たちとすごした ワルプルギスの夜は忘れがたい。 とくに何がって、 鳥のさえずるたんなる朝の輝きが。 遅ればせながら、 「魔法少女まどか☆マギカ」を観て 身につまされている。 僕は人と真に…

端的な無限からの限定の話

今日の永井ゼミでの時間論は熱かった。 発表者のTさんはとにかく素晴らしかった。 先生との対話が溢れ出た。 ヒューミアンのNさんは、 未来の不思議さにこだわっていた。 ゼミのあと、 与えられた無限定からの限定の話をした。 それと、端的な無限からの限…

世界を愛で満たすには

私の体は、動きたい方向を伝えてくる。*1 しかし日常生活は、 行かなければいけない場所や、 しなければいけない動作でいっぱいなので、 体の動きたい方向は無視されている。 体が空腹なら、 体は食べたい物への方向を伝えてくる。 ところが、体の伝えてくる…

古代から続く哲学対話に入る

哲学の伝統と、 伝統とは無関係な個人的観点との間の 葛藤あるいはダイアレクティックのない 哲学などあるだろうか。 たとえば、哲学対話の場合でも、 複数人で考えていることと、 一人で考えていることととが、 同時進行している。 参加者の一人一人は、 そ…

体に穴をあける叡智

友人に名医を紹介してもらい、 鍼灸院へ。 ふだんから違和感のある場所を みごとに触わり当てられながら、 「これはかわいそうだ。 ここまで疲労していては 休んでいても治らない」 と言われる。 施術の最中から、 すでに素晴らしい効果を感じる。 いまも鍼…

祭のあとの独り言

賑やかだった春休みが終わった。 楽しかったけど、 やっぱり賑やかすぎるのは向いてないな …ということがちゃんとわかった。 カンテラを置いて、 ふたたび空気の薄い山の上へ。 この春休みは、 やり場が整っていないのに、 急にエネルギーが出てきてしまった…