2017-07-26 問題と問い ボーロ 「私が問題Aに関心をもつのは、 私がBであるような人だからだ。」 このような思考、または語り方のなかで、 Bがすでに問題Aによって 規定された表現に なってしまっている場合がある。 このようなときに最も、 僕はその問題の根深さを感じる。 そこまで問題の犠牲になることが あるだろうか。 どうすればその人は問題の外に出て、 自分だけの問いを生きることができるだろう? これ自体が哲学の問いだとしたら、 おそらくその人も哲学をやるしかない。 ボーロ