「あなたならどんな哲学の場を作る?」という問い
「一軒の喫茶店をまかせるから自由にやってみてほしい」と言われたとする。
あなたならどんな喫茶店にするだろうか。
二種類の人がいるのではないだろうか。
一方には、自分自身にとってのよい喫茶店のイメージを思い描いて、それを一番の手がかりにする人。
もう一方には、喫茶店について市場調査をして、それを一番の手がかりにする人。
さて、喫茶店は人がコーヒーやお茶を飲んでくつろぐ場所だが、
哲学カフェは人が哲学をする場所だ。
人が哲学をする場所をあなたが作ることになったら、どんな場所にするだろうか。
ここでも二種類の人がいるだろう。
一方には、どんな場所なら自分自身が哲学をできるかを考え、それを一番の手がかりにする人。
もう一方には、どんな場所なら多くの人が哲学をできるのかを調査し、
それを一番の手がかりにする人。
どんな場所なら哲学をすることができるか。それは人によって大きく異なるだろう。
たとえば「考える」ということだけをとっても、
「どんな場所なら考えるということをしやすいか」は、人によって多種多様にちがいない。
それでも一つの場所を作るとして、どんな場所にしようか。
「考える」ということをしやすいのは自分自身にとってはどんな場所か、といったことを一番の手がかりにする人は、
「どんなときに自分は考えているのか?」「そもそも自分にとって考えるとは何か?」
ような根本的な問いを避けて通れない。
そんなこんなを考えながら、場所を作っていくしかない。
その一方で、「考える」ということを多くの人がしやすいのはどんな場所か、
といったことを一番の手がかりにする人は、
少しでも多くの人を観察し、アンケートをとり、ほかの場所の人と情報交換をしながら、
経験則を固めていくだろう。
どちらがよりよい場所を作れるのかはわからないが、
どちらがより哲学をしているのかは、一目瞭然ではないだろうか。
ボーロ