哲学の中庭

…と、真理の犬たち

「あなたならどんな哲学の場を作る?」という問い

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 ▲ プラトンアカデメイア跡地*1

 

 「一軒の喫茶店をまかせるから自由にやってみてほしい」と言われたとする。

あなたならどんな喫茶店にするだろうか。


二種類の人がいるのではないだろうか。

一方には、自分自身にとってのよい喫茶店のイメージを思い描いて、それを一番の手がかりにする人。

もう一方には、喫茶店について市場調査をして、それを一番の手がかりにする人。


さて、喫茶店は人がコーヒーやお茶を飲んでくつろぐ場所だが、

哲学カフェは人が哲学をする場所だ。

 

人が哲学をする場所をあなたが作ることになったら、どんな場所にするだろうか。


ここでも二種類の人がいるだろう。

一方には、どんな場所なら自分自身が哲学をできるかを考え、それを一番の手がかりにする人。

もう一方には、どんな場所なら多くの人が哲学をできるのかを調査し、

それを一番の手がかりにする人。


どんな場所なら哲学をすることができるか。それは人によって大きく異なるだろう。

たとえば「考える」ということだけをとっても、

「どんな場所なら考えるということをしやすいか」は、人によって多種多様にちがいない。


それでも一つの場所を作るとして、どんな場所にしようか。


「考える」ということをしやすいのは自分自身にとってはどんな場所か、といったことを一番の手がかりにする人は、

「どんなときに自分は考えているのか?」「そもそも自分にとって考えるとは何か?」

ような根本的な問いを避けて通れない。

そんなこんなを考えながら、場所を作っていくしかない。


その一方で、「考える」ということを多くの人がしやすいのはどんな場所か、

といったことを一番の手がかりにする人は、

少しでも多くの人を観察し、アンケートをとり、ほかの場所の人と情報交換をしながら、

経験則を固めていくだろう。


どちらがよりよい場所を作れるのかはわからないが、

どちらがより哲学をしているのかは、一目瞭然ではないだろうか。
 

 
 
ボーロ