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哲学の中庭

…と、真理の犬たち

世界の抉り方

ボーロ

かの師は学生に、作品の内側にあるものから語り始めなさい、と言って指導するという。作品の周辺にある文脈や史実ではなく、作品そのものの内側にあるもの。

芸術などの作品だけでなく、おそらく世界だってそうだ。ある夜、かの師が懇親会でこう話すのを聞いた。そこにいる人の笑顔から始めなさい。

たとえば哲学対話では、「よく聞く」ことが推奨される。さて、「よく聞く」というのはどうすることか。人の言うことを一言一句聞き漏らさず、理解しながら聞く、これもよく聞くやり方のひとつではあるだろう。

ところが、「子どものための哲学」の関係者のあいだでは、「聞いていないと思った子が突然話し始めた。実は聞いていたようだ」というような証言をよく耳にする。

そのような子どもは、一言一句聞き漏らさないように聞いていたわけではないはずだ。むしろ反対に、何となくぼうっと聞いていただけだろう。それにもかかわらず、自分の関心に対して、体ごと反応できるのだ。

こんなふうにぼうっとできるようになるのは、素晴らしいことだ。ぼうっと聞いていても、ぼうっと生きていても、自分にとっての宝石が、世界から突如として浮き出してくる。

浮き出してきたら、体が自然と反応する。それにちゃんと気づいてやる。そうすれば、一点集中、全身全霊を傾けられる。

そうしていると、その一点から世界が花開いてくる。これが世界の抉り方だ。かの師の指導を僕はそう解釈する。

 

 

 ボーロ