「まともではない人間」とは何か? — 人間探求にまつわるパラドックス
強制収容所の監視者たちを観察した経験から、
このように書いた。
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、二つの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。*1
「まともではない人間」が、集団のなかで
何かしらの力(power、権力)を手にしたとき、
そこは地獄へと変わる。
「まともではない人間」はその力によって
希望さえ根こそぎ奪いにかかる。
「この集団を抜ければ地獄は終わる」
という希望さえ。
であれば、人間が集団のなかで生きていく以上、
「まともではない人間」を何とかすることは、
緊急かつ必須ではないだろうか。
だがそこで、私たちはうろたえざるをえない。
そもそも「まともではない人間」とは何か?
この問いを発するのはもっぱら「まともな人間」で、
ここで「まともな人間」は、
永遠に理解不可能かもしれない対蹠の種族について、
自らの側から知ろうせざるをえないことに気がつくのだ。
ボーロ