根源的遭遇のための対話
昨日の哲学対話では、
ああ今日はこの対話があってよかったと
確信をもてる瞬間が現れた。
真実の瞬間だ。
それは本当に一瞬のことで、
一人の方が、
魂の底から言葉を発したのだ。
その声、意味、表情は、
謎として記憶に刻まれる。
僕が対話の場を開くとしたら、
開きたいのは、
そのようなことが起こりうる場所。
真実との根源的な遭遇が起こりうる場所。
そのような遭遇の瞬間は、
目立たないことが多い。
それが起こりうる場所のための配慮も、
目立たないものだ。
それでも、真実の瞬間は、
それを待つ人のもとに訪れる。
(だから、僕にとって「ファシリテート」することは待つこと。「ファシリテーター」としての発言は「もう少し待ちましょう」のみというのが理想。)
ボーロ